古今亭志ん生の魅力と、おすすめ演目

昭和の大名人と呼ばれる、五代目古今亭志ん生。
金原亭馬生、古今亭志ん朝が息子という超大物です。落語に興味があるならば、この人を聞かなきゃ始まりません。

五代目古今亭志ん生師匠の、魅力とお勧めの演目をご紹介します。

五代目古今亭志ん生の、すごいところ

カワイイところがすごい

まず容貌からして、愛嬌のあるつるっぱげの丸顔です。
いかにも風格のある文楽や、見るからにいかめしい圓生、二枚目の三木助といった同時期の名人たちと比較すると、圧倒的にかわいいです。

声も微妙に高いし、もしゃもしゃして何言ってんだか分からないような滑舌、ときどき言葉に詰まったり、言い間違えたりする「雑さ」もあり、志ん生師匠の芸には、「名人」らしい「高度さ」「緻密さ」が一見、まったく感じられません。
(本当は緻密なのかもしれないけど、聞き込んでもよく分からないし、まあ考えたってしょうがないことだと思います)

こういった名人らしい「芸の高み」は、凄みになると同時にとっつきにくさも生んでしまうものです。
たぶん、落語初心者でいきなり文楽や圓生を聞こうという人はまずいないだろうし、実際、やめておいた方がいいと思います。

そういった名人たちと比べると、志ん生師匠の芸は圧倒的に「親しみやすい」のです。
だから、ちょっと落語を好きになった人が、昭和の名人たちに触れる取っかかりに最適だし、まあそういうことを抜きにしても、単純に、楽しいのです。

ギャグセンスがすごい

大げさじゃなく、ドッカンドッカン笑いを取れる人です。

スタジオやラジオじゃなくて、ホールでの録音の音源を聴いてみれば分かりますが、お客さんの反応が半端なく大きいです。
特に若い女性が、高い声で笑ってる声なんかがよく聞こえます。

「あたしゃ飲ませませんねって、何をォ言ってやがんだ。
お前ェこの家で、それほどの権利があるのか? えェ?
てめえは何だ。この家の、カカアじゃねえか。
カカアのくせにィ…、しやがって…、女房の女ァ。
俺はこの家の、主だぞォ。
主は一軒の家でいちばん偉ぇんだ。
嘘だと思うなら区役所行って聞いてみろ」
「いや偉くないとは言わないよ。けどお前さん、もう飲めない」
「いや飲める! 口から飲めなきゃ鼻から飲む!
お前ぇがそういうような口を利いちゃいけねえな。
いま帰ったよォ、っと俺が言うとお前が、
おかえりなさいまし。大変召し上がってるようですね。
だけど外は外、家は家でございますから、
アタシのお酌で気に入らないでしょうが、
一杯召し上がったらどう? って言われりゃ、
いや止そう、気の毒だから。っとこうなるんだ。
それをお前が、ギャアギャアとこう、
百万年前のトカゲみたいな面ァしやがって言うから…」

私の大好きな演目「変り目」からの引用。
「区役所」「鼻から飲む」なんていう笑いどころがポンポン飛び出してくる様は実に見事。
威勢良く畳み掛けようと思ったところが、酔いのせいで言葉が出てこない「感じ」も、よく出ていて、地味に上手いです。
「百万年前のトカゲ」なんていう、意味不明な、決して高度ではない小学生並みの比喩も、この人が言うから抜群に面白いのです。

許されちゃうところがすごい

志ん生師匠のエピソードを見ていると、

  • 高座で話している最中に寝てしまった。
  • 登場人物の名前を忘れてしまい、「どうでもいい名前」と言って平気で続けた

なんてのが見つかりますが、これが許されちゃう、むしろ喜ばれてしまうのが志ん生師匠のスゴさであります。

「人間の、寿命と同じで、
どんなことをしたって丈夫な者は長生きをするんですが、
寿命のない人が、どうか俺は長生きをしたいと考えてもダメですな。
もうタバコなんぞ止しました。
酒も止めたよ。
運動もしている。
ずい分この頃太ってきたが自動車にぶつかっちゃった…
これはどうも、しょうがないですな。
それを考えるってぇと、不養生して自動車にぶつからねえ人の方が
まだ丈夫だと、こういうことんなりますな」

例えばこんなこと言うだけでも、志ん生師匠はドカンとウケちゃうんです。
実際、面白いんです。
大喜利で座布団をもらえるような面白さじゃない。唐突に「自動車」が登場する異質感は確かにありますが、まあ、はっきりいって安易。
だけど、笑っちゃうんです。

この「許しちゃう感じ」を、ぜひ味わってほしい。
聞き手の我々の方を「なんでも来い」という、大らかな気持ちにさせてしまう、そんな魔力が、志ん生師匠にはあります。
こう言っちゃ変だけど、赤ちゃんが喋ってるのを見守るような。

そして、そういう余裕を持った気持ちで落語を聴いて過ごす時間は、とても気持ちのいいものです。

おすすめ演目

変り目

ヘベレケで帰ってきた亭主。
「一杯やりたい」「もう十分飲んでるから止めときなさい」と一問答。
生意気言うんじゃない、女はおとなしく言う事を聞いてればいいのと威張り散らして肴を買いに行かせますが、奥さんが買い物に出て行ったところでしみじみと思います。
口じゃあどうしてもキツいことを言っちゃうが、
美人だし気立てもいいし、実際俺には過ぎた女房だよ・・・

「一杯飲むったって、遅くなってもう何もないよ」
「何もなくってもいい。何かつまむ物ねえか?」
「鼻でもつまめ」
「何を言ってやがる。
何かちょいとこうやってよォ、ポリポリっとつまんで、
きゅーっとひっかけりゃいいんだァ。
何かつまむ物ねえか?」
「つまむ物ったってねェ・・・
もう少し早いとアブラムシが居たんだけど」
「アブラムシっ・・・
台所にあるだろ。けさ俺が食べた納豆の残りが、
三十五粒・・・」

「アブラムシ」なんていうのは、実に絶妙な言葉のチョイスだと思います。
さらに、貧乏長屋暮らしの長かった志ん生師匠ならではの実感もこもっていて、「三十五粒」と合わせて、妙な説得力もあります。

黄金餅

筋金入りの吝嗇家で、大量の小金を貯めこんだ西念さん。
病をこじらせ、あの世へ貯金を持って行こうと思ったか、死ぬ直前にあんころ餅に金をくるんで食べてしまいます。
それを見ていた金山寺屋の金兵衛さん、周囲にバレないように西念さんの遺体を火葬して、金を取り出そうと奮闘します。

「急いでんだ焼いてくれよスグに」
「すぐには行かねえよ。モノには順ぐりってものがあるんだから」
「何をォ? 順ぐりだぁ? 順ぐりも、ドングリもあるかい!
急いでるから焼いてくれってのが分かんねえのかい。
焼かねえのか?
焼かねえとてめえ焼くぞ」
「オイオイオイオイ…」

「てめえ焼くぞ」が、大胆かつ大雑把でイイです。同時に「どんぐり」のキュートさもポイント高し。

親子酒

倅の酒癖がどうにも悪くてしょうがない。
この酒を止めさせなければ、いつか身代を持ち崩す。そう心配した父は一念発起。
自分も酒を止めるから、お前も禁酒をしなさいと約束します。
これが効いて倅は酒を止め、仕事にも身が入りますが、隠居の身分である父は、酒がないと退屈でしょうがない。とうとう我慢ができなくなり・・・

「アァー・・・  酔った。 ・・・ああ酔った」
「さ、お寝なさい」
「酔ったけどねぇ・・・
お寝なさいってンじゃないよぅ。
お前は人を寝かせたがるね。
アタシを寝かせてどうしようってンだい」

いつ倅が帰ってくるかと心配している奥さんをよそに、一人だけいい気持ちになっている親父。
ゴキゲンな酔っぱらいに流れる、ゆったりとした時間。
そんなものを感じさせる大らかな演じ方が秀逸です。

まとめ

志ん生師匠の魅力は、許されキュートなギャグセンス。

まずは「変り目」「親子酒」「黄金餅」からどうぞ。

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